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横浜地方裁判所 昭和60年(行ウ)16号 判決 1985年10月09日

原告

今村敏昭

被告

横浜市長

細郷道一

被告

保土ケ谷区長

小宮山義雄

右被告両名訴訟代理人

上村恵史

米山安則

高井佳江子

大笹秀一

主文

一  原告の被告保土ケ谷区長に対する訴えをいずれも却下する。

二  原告の被告横浜市長に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告保土ケ谷区長が原告に対し、昭和五九年一二月二一日付でした原告に関する住民票の写し交付請求書の開示請求拒否処分を取り消す。

2  被告保土ケ谷区長は原告に対し、前項の住民票の写し交付請求書を開示せよ。

3  被告横浜市長が原告に対し、昭和六〇年三月一九日付でした審査請求却下の裁決を取り消す。

4  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁(被告両名)

1  本案前の答弁

(一) 本件訴えをいずれも却下する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  本案に対する答弁

(一) 原告の請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一請求の原因

1  被告保土ケ谷区長(以下「被告区長」という。)は、昭和五九年一二月七日、何人(以下「本件請求者」という。)かの請求に基づき、同人に対し、原告の住民票の写し(以下「本件写し」という。)を交付した。

原告は、同月二一日、被告区長に対し、本件請求者の氏名及び本件写しの使用目的を明らかにするため、本件写しの交付請求書(以下「本件請求書」という。)を開示することを求めたが、同被告はこれを拒否した(以下「本件拒否行為」という。)。

そこで、原告は、同月二二日、被告横浜市長(以下「被告市長」という。)に対し、審査請求をし、本件拒否行為の取消し及び本件請求書の開示を求めたが、同市長は、昭和六〇年三月一九日、要旨左記の理由で行政不服審査法四〇条一項に基づき、右審査請求を却下した(以下「本件裁決」という。)。

住民基本台帳法(昭和六〇年法律第七六号改正前のもの。以下「法」という。)その他の法令上、原告に本件請求書の開示を請求しうる権利ないし法的地位を認めた規定がないから、現行法令上、原告は、本件請求書の開示を請求しうる権利ないし法的地位を有しない。

したがつて、原告は、本件拒否行為によつて、何らの権利ないし法的地位に変動を生じていないから、本件拒否行為は行政不服審査法二条の「処分」に当たらない。

よつて、原告の審査請求は、右処分に該当しない行為を対象としたものであるから、不適法である。

また、行政不服審査法は、行政庁に対し、その作為を求めることを認めていないから、本件請求書の開示を求める審査請求は不適法である。

2  本件拒否行為及び本件裁決は、次のとおり違法である。

(一) 本件拒否行為について

本件請求書の開示に関し法令の規定が存しないことに鑑みれば、右請求書の開示は、当該行政庁の裁量に委ねられていると解されるところ、日本国憲法の下において、国民は、知る権利を保障されており、右知る権利の保障には、第三者が無断で自己の住民票の写しの交付を受けた者の氏名及び右写しの使用目的を知ることも含まれるというべきであるから、右写しの交付請求書の開示請求が濫用に渡らず、かつ、第三者の固有の権利ないし義務に特段の影響を及ぼさない場合には、右行政庁にはもはや裁量の余地はなく、右写しの交付請求書の開示請求に応じなければならないものというべきである。

本件において、被告区長は、本件請求書の開示によつて何ら執務に影響を受けず、かつ、第三者の住民票の写しの請求を阻害するものでもないから、本件拒否行為について、その裁量権を濫用した違法があるというべきであり、ひいては地方自治法二条一三項にも違反するものである。

(二) 本件裁決について

本件裁決には、本件請求書の開示請求権について、前記のとおり、それが憲法上保障されるべきものであるにもかかわらず、法令の規定が存在しないことのみをもつてこれを否定した違法があり、右違法な判断を前提として、本件拒否行為が行政不服審査法所定の処分に該当しないとし、かつ、被告区長に対し本件請求書の開示という行為を求める根拠がないとした違法がある。

3  原告適格

住民票の写しは、公文書として重要であり、これに対する国民の信頼も大きいから、身許を証明する資料として、金融業者からの金員の借入れ、クレジットによる物品購入及び二輪自動車の登録(なお、右登録により登録者には納税義務が発生する。)等に利用されているが、反面、無断で第三者の住民票の写しの交付を受けた者が、これを示して当該第三者を詐称し、金員を借入れること等不法に利益を得る手段として悪用される場合もあり、紛争を生じた実例も多々存在する。

したがつて、第三者によつて自己の住民票の写しを無断で請求された住民は、右のような紛争に巻き込まれることを未然に防止するため、右住民票写しの交付を受けた第三者の氏名及びその使用目的を知る利益を有するというべきであるところ、右第三者の氏名及び使用目的を知るためには、右第三者の提出した住民票写しの交付請求書を開示される以外に方途はないのであるから、当該住民は右写しの交付請求書の開示を求めるにつき、利益を有するというべきであり、右利益は、法律上保護されている利益とはいえないまでも、法律の保護に値いする利益であるというべきである。

本件において、原告は、前記のとおり、何人かによつて、無断で本件住民票写しを請求されたのであるから、本件拒否行為及び本件裁決の取消しを求めるにつき法律上の利益を有するというべきである。

よつて、原告は、本件拒否行為及び本件裁決の取消しを求めるとともに、被告区長に対し、本件請求書の開示を求める。

二被告らの本案前の主張

1  本件拒否行為及び本件裁決は、いずれも行政処分ではないから、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)三条二項所定の処分の取消しの訴えの対象とはならない。

2  仮に、本件拒否行為及び本件裁決が行政処分であるとしても、現行法上、本件請求書の開示請求権を認めた規定はないから、原告には右各処分の取消しを求める法律上の利益はない。

三被告らの請求の原因に対する認否

1  請求の原因1項の事実は認める。

2  同2、同3項は争う。

理由

一請求の原因1項の事実は、当事者間に争いがない。

二被告らは、本件拒否行為が行訴法三条二項にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に該当しないから、原告の本件拒否行為の取消しの訴えは不適法である旨主張するので、先ず、この点について判断する。

1抗告訴訟の一態様である行訴法三条二項所定の「処分の取消しの訴え」の対象である処分は、行政庁がその優越的な地位に基づき公権力の発動として行なう行為であつて国民の具体的権利又は法律上の地位に対し直接影響を及ぼす性質のものと解するのが相当である。

2そこで、本件拒否行為が原告の具体的権利又は法律上の地位に直接影響を及ぼすような性質のものであるか否かについて、検討する。

地方公共団体は、その構成員である住民の福祉の増進を図ることを任務とし、また、住民はその属する地方公共団体に対して住民としての各種の権利及び義務を有している(地方自治法一〇条)から、地方公共団体はその構成員である住民を常に明確に把握しておくために、その住民に関する正確な記録を常に整備しておくことが必要とされ(地方自治法一三条の二)、法によつて住民基本台帳制度が設けられたのである(一条)。

法は、「市町村(特別区を含む。以下同じ。)において、住民の居住関係の公証、選挙人名簿の登録その他の住民に関する事務の処理の基礎とするとともに住民の住所に関する届出等の簡素化を図るため、住民に関する記録を正確かつ統一的に行なう住民基本台帳の制度を定め、もつて住民の利便を増進し、あわせて国及び地方公共団体の行政の合理化に資することを目的とする。」(一条)もので、市町村長は、個人(又は世帯)を単位とする住民票を世帯ごとに編成して、住民基本台帳を作成する(三条一項、六条)が、その住民票は住民からの届出又は職業によつて記載されることになつている(八条)。

住民票には、住民の居住関係の公証に関連し、先ず、住民個人の同一性を明らかにするため、住民の氏名、生年月日、男女の別、戸籍の表示(七条一ないし三号、五号)が、次いで、その住民の居住関係を明らかにするため、世帯主の氏名及びそれとの続柄、住民の住所、住所の異動その他住所に関する事項(七条四号、六ないし八号)を記載し(以上の記載事項を、以下「基本事項」という。)、また、住民に関する事務処理の基礎とするため、選挙人名簿の登録、国民健康保険及び国民年金の被保険者の資格、児童手当の受給資格者の資格並びに米穀類の配給に関する事項(七条九ないし一二号)を記載する(以上の記載事項を、以下「個別行政事項」という。)ほか、個人の秘密を侵すおそれがないと認められる事項が記載される(法施行令二条)ことになつている。

更に、法は、「何人でも、市町村長に対し、住民基本台帳の閲覧又は住民票の写しの交付を請求することができる」とし(一一条一項、一二条一項)、他方、「市町村長は、執務に支障がある場合その他正当な理由がある場合に限り、右請求を拒むことができる」旨定め(一一条二項、一二条三項)、なお、住民票の写しの交付請求の場合には、市町村長は、特別の請求がない限り、個別行政事項の記載を省略し、基本事項のみを記載し、その末尾に原本と相違ない旨を記載した住民票の写しを交付することができる旨定められている(一二条二項、法施行令一五条)。

以上によれば、法は、住民基本台帳につき、個人の秘密に属する事項についての記載は、可能な限りこれを避け、住民の居住関係に関する必要最少限の事項を記録することとし、他方、住民の住所を含む居住関係が各種の法律関係の基礎として重要な意義を有していることに鑑み、これを一般私人の日常生活においても広く利用させるほか、各種の行政事務処理の基礎とするために国、地方公共団体等においても積極的に利用することが望ましいとの見地からこれを広く一般に公開することを原則としたから、法は、その使用方法についても特段の制約を設けなかつたし、また、住民が市町村長に対し、自己の住民票の写しの交付を請求した第三者の氏名及び使用目的を知るための右交付請求書の開示を求めることができる旨の定めも設けなかつたものということができる。

してみると、法は、住民が市町村長に対し、自己の住民票の写しの交付を受けた第三者の提出した右住民票写しの交付請求書の開示を請求する権利ないし法的地位を認めていないものということができるから、原告が被告区長によつて本件拒否行為がなされたからといつて、原告の権利又は法律上の地位には何らの変動も生じていないものということができる。

そうすると、本件拒否行為は、行訴法三条二項所定の処分としての性質を有しないものといわざるを得ない。

なお、原告は、憲法上、知る権利が保障されているから、原告には本件請求書の開示を求める権利ないし法的地位が存在する旨主張するが、憲法上、表現の自由の保障(二一条一項)は、他面において、これを受ける者の側の知る自由の保障を伴なうものではあるが、このことから、直ちに、何人も第三者の所持している資料の開示を請求する権利を取得するものでないことは明らかであるように、実定法上、住民が市町村長に対し、自己の住民票写しの交付を受けた第三者の右交付請求書の開示を請求する権利ないし法的地位を認められていない以上、右知る自由の保障から右権利ないし法的地位が当然に認められるものではなく、原告の右主張は採用することができない。

したがつて、原告の被告区長に対する本件拒否行為の取消しを求める訴えは、処分性の認められない行為を対象としてその取消しを求めるものであるから、その余の点について判断するまでもなく、不適法であるといわなければならない。

三次に、原告が被告区長に対し、本件請求書の開示を求める訴えは、抗告訴訟の一態様として行政庁に対し一定の行為をなすべきことを求めるいわゆる義務付け訴訟ないし給付訴訟であると解されるところ、かかる訴えは、三権分立の建前上、また、行政事件訴訟法の諸規定の趣旨に照らして疑義があるのみならず、被告区長が原告に対し本件請求書を開示する義務を課されていないことは前記説示のとおりであるから、原告の被告区長に対する本件請求書の開示を求める訴えは不適法であるといわなければならない。

四次に、原告の被告市長に対する本件裁決の取消しの請求について判断する。

1被告市長は、本件裁決が行訴法三条二項にいう行政庁の処分に該当せず、仮に該当するとしても、原告は本件裁決の取消しを求めるにつき法律上の利益を有しないから、原告の被告市長に対する本件裁決の取消しの訴えは不適法である旨主張するが、被告市長が行政不服審査法に基づいて本件裁決を行なつたことは当事者間に争いがなく、原告の被告市長に対する右訴えは、本件裁決の取消しを求めるものであるから、行訴法三条三項にいう「裁決の取消しの訴え」に該当し、また、原告は右裁決の名宛人であるから、その取消しを求めるにつき法律上の利益がないとはいえず、被告市長の右主張は採用することができない。

2原告は、本件拒否行為が処分に当たらず、また、行政不服審査法は行政庁に対する作為を求めることは認めていないとして審査請求を却下した本件裁決は違法である旨主張するが、本件拒否行為が原告の権利又は法的地位に何らの変動を生ぜしめるものでないことは前記説示のとおりであるところ、右行為は行政不服審査法所定の審査請求の対象となる行政庁の処分とも認め難く、また、同法は行政庁に対する作為を求める審査請求は認めていないから、これと同旨の本件裁決には違法はなく、原告の主張は採用することができない。

五よつて、原告の被告区長に対する本件訴えは、いずれも不適法であるから、これを却下することとし、原告の被告市長に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を各適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 古館清吾 裁判官足立謙三。裁判官澁川滿は転補につき署名押印することができない。裁判長裁判官 古館清吾)

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